奄美から世界へ:AMMA-MIAが描く日本文化再興の物語

2025年9月18日

プロジェクトの原点

――AMMA-MIAというブランドを立ち上げた背景を教えてください。

「これまで過去日本ではこういった世界遺産をブランディングしたという経験がないので、このブランディングすることによって世界に売って出ると。今現在製造業の中で車を作っても日本という国は収益が上がらないという環境になっている中で、日本の文化をマネージャーしていくということが非常に大事ではないかと思っていまして、その中でこのアンマミを使ってまだ割安に放置されている土地を活用し、また地元の特産を使ってこれをブランディングすることによって世界に知ってもらおうと。」

――なぜ「AMMA-MIA」という名前にしたのですか?

「イタリア語の「Mamma Mia」(驚きや感動を表す言葉)と「奄美 良いや!」を組み合わせた造語です。国際的に覚えやすく、発音しやすい名前として、世界市場での認知度向上を意図しています。」

なぜ奄美なのか

――数ある日本の地域の中で、なぜ奄美に着目されたのでしょうか?

「非常に割安に放置されていると。沖縄はもう大圧リズムで非常にもう価格が高騰してて、土地もそうですしホテルも非常に高いという中で、アワビは非常に割安に放置されています。一つヒントを私がゴルフ仲間でいただいたのがですね、沖縄の空港でゴルフ合宿に行く連中がいたんですけれども、奄美の方にですね、沖縄からなんで君たちわざわざ沖縄から奄美に行くのということでですね、学生に聞いたところ、奄美は安いからというコメントをいただいたんですね。」
「やはり奄美は割安感があるというところに非常に投資ムーミーがあるというところを私は発掘したので、それが一つの大きなきっかけであると。ツボ7万とか10万で買えるようなリゾートの土地っていうのはなかなか、まあ今の世の中ないのでそこをまあ1年、まあ例えば12ヶ月のうち10ヶ月はフル稼働できるような土地で投資できる環境というのはなかなかないので。」

――具体的にどのような土地を取得されたのですか?

「私が最初に決めたのはですね、まず地元の人間に私が車で足を運んでですね、いろんな若い人のお話を聞いて、これからどこがいいかという意見を言っていただいてですね、足徳が良かろうということで。足徳というところは湾の中にあってですね、外海に面していない、宇宙にしかないというところで非常に静かで、波が静かで、パドリングもできたりとかですね、いろんなアクティビティができると。一年中海に入れると、ほぼハワイに近いんじゃないかなという気候状態でございますので、雪も当然ながら降ったこともないと。しかも空港から非常に近いと、天海空港から車で15分圏内ということもあって。」

歴史的背景と文化の価値

――奄美の文化的な価値についてどうお考えですか?

「文化は昔江戸時代の頃から薩摩の方で発信されたと。当幕の話もありましたけれども、過去明治維新の頃ですね、パリ万博で薩摩の美術品を出したところですね。島づけの家紋が、今ルイ・ビトンのモノグラムになっているというぐらいですから。その時代に薩摩の南の県である鹿児島でですね、それが今現代においてルイ・ビトンのモノグラムになっているというのは非常に、日本人としては下世なんですけれども、残念ながら日本の家紋が海外のルイ・ビトンのモノグラムになっているということ自体、非常にいい話ではあるんですけど。」
「我々としては同じようにですね、南の島である天宮島を活用してですね、日本全国、世界中にですね、この天宮というブランディングを、今度は逆の発想でルイ・ビトンがやったように、今度は我々がやるというようなことを一つ考えています。」

具体的な事業展開

――民泊事業についてお聞かせください。

「民泊授業につきましては、まずアマミーヤの事務所を取得した土地に設置してですね、民泊授業を始めました。対象のお客様は基本的には富裕層をターゲットにして、1泊20万から30万円ほど取れるような料金設定にして、地元の飲食店さんと提携してですね、お客様をお迎えするというような計画でスタートさせようと思っています。」

――奄美の特産品をどのようにブランディングしていくのですか?

「一つ、私が最近気づいたことで思うのが、奄美の黒糖焼酎で非常に高品質なものがあるんですけど、これは日本人にもあまり知られていない、行ってみないと分からない、地元の人間で知らないようなものなんですけど、これをこの間飲ませていただいて、これは普通だったら一生懸命1万円払っても価値はおかしくないなというものが3700円で売られたりしているので。やっぱり日本のこういった非常にハイクオリティなものが国内で安く消費されていて、海外に持って行けば2倍以上売れると、こういった襲撃チャンスが私としてはあるんじゃないかという風に思ってまして。」
「一つとってみれば、それはアマミ屋ブランドでアマミ屋コーヒーということで世界で売り出すとかですね、大島ツリーも同じようにアマミ屋アパレルで売り出すとか、あと法職員であればアマミ屋のパールをアマミ屋パールで売り出すとか、あと地元のコンビニをアマミ屋コンビニストアとか、すべて統一ブランド化することによってアマミ屋を認知してもらうと、アマミ屋という名前でですね。」

日本再興への��い

――このプロジェクトに込められた想いを教えてください。

「外資系金融で30数年働いてきたんですけれども、金融の世界から見てもですね、過去不良債権処理の過程で日本の資産が非常に安く売却され、その後高値で買い戻すという形で、日本は大きく損してきたと。私は当時は外資系にいたので、その経験からして、外資であれだけ日本を利用してですね儲けてて、なんで日本人は儲けなきゃいけないのというルールはないので。」
「今回私は強く熱意を持って頑張りたいなと思うのは、逆の立場に立って、日本人を儲けていいんだよということをですね、日本人に知ってもらいたいと。そうすることによって、やっぱり日本人自体も国民も夢を持てる世界になりますし、子供を持ちたいとかですね、大きい環境も変わってくるんじゃないかなというふうに思いますので、これをぜひとも私は実現させたいと。」

――日本の文化や製品の価値についてどう考えていますか?

「日本という国は世界で類のない国であると。文化であったり、物であったり、人であったり、世界で多分おそらく日本でしかない。日本人は世界最高の人類であるというふうに私は思っていますので、これが売れないはずはないというふうに思っていますし、これを非常に大事にしてですね、やはり世界を変えて、日本の世界を変えていきたいというふうに思っています。」
「日本人はもう非常に儲け話に対しては非常に謙虚であるというところから、今まで全部収益は外人が持っていったということでこれからは日本に収益をもたらす事業。これを非常に我々にフォーカスしていまして、日本も儲けていいんじゃないかというふうに持ってまして強く持ってましてそのあたりをまあ特に良いものを作る日本ですから、技術及びまだ国民性非常に平和主義で親切であるというところでですね、まあそこに対してのやっぱり付加価値はあるというふうに我々認識しているので。」

最終的なビジョン

――AMMA-MIAの最終的な目標を教えてください。

「将来的な目標としては、このアマンミーヤブランドが世界遺産であるアマミを大きくできることによってですね、ゆくゆくは、このアマンミーヤブランドネームを使って、豪富可価なものを、日本の製品を世界に売っていくと。とっかかりは奄美を使ってやりますけれども最終的にはですね日本全国ですね展開していきたいなというふうに思っています。日本の文化を高負荷価値付けて販売していくと、これが奄美の経営戦略、最終的な経営戦略ですね。」
「日本の文化を売るっていうのは日本でしか作れない製品ですね。例えば大島つむぎだったら海外では作れません。島豆腐も島でしか作れません。黒糖焼酎も奄美でしかできません。今のところは日本でしかできないものを、これまで価格を安く販売したものを、それに高負荷価値を付けてある程度収益を乗せてですね、日本が儲かる形を作りたいというのが最終的な目標です。」
AMMA-MIAは、奄美という世界遺産の島から始まる、日本文化再興のプロジェクトです。割安に放置されてきた日本の宝を、適正な価値で世界に届けることで、日本に収益をもたらし、国民に夢を与える。それが私たちの使命です。
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